20210715

今日は祖母の火葬式だった。

朝から祖母の棺桶に何を入れようか考えて、ベランダ菜園で採れたとんがらしとユーカリの枝の小さいブーケを用意した。(家庭菜園が好きだったので)

京都に向かう途中、イオンで黄金糖と野菜フライ、花束を買い足した。

清水五条で姉をピックアップして東山の焼き場に向かった。姉は思ったより能天気で、遠足に行くようなテンションで「こんなに早く亡くなるなんて思ってなかった~」とか言っていた。

姉は祖母が長くないと母からLINE で聞いていたものの、そんなに深刻な状況であるとは思っていなかったらしい。

 

焼き場に着くと、葬儀屋が待っていてすぐに納棺スペースに案内された。1500円のお布施で坊さんが 2分程度お経を読み、その間に焼香と棺桶に用意した物品を納めるのを済ませなければいけない。(ありがたみがない)

せっせと棺桶に黄金糖や花束を詰めながら祖母の顔を見た。テレビを見ながら居眠りをしたときのような顔だったが、微動だにしないことが不思議だった。

お経が終わるとあれよあれよと最後の挨拶を促され、祖母は窯に入れられた。熱そうだと思った。

完全に骨になるまでは1時間半ほど掛かるらしく、待合室に案内された。待合室はフードコートになっており、カレーやパフェまであった。わたしは鼻についた腐ったような臭いでとてもじゃないけど何かを食べる気にならなかったが、他のグループはレストランに来たように普通に食事を取ったりしていた。完全に日常感があった。

 

姉が昨日の経過を聞いてきた。昨日の午前1時24分に息を引き取ったらしいと言うと、ギョッとした顔をした。

「怖い話していい?昨日の夜中に玄関のドアがドンドンってノックされて、怖くなって時計見たら午前1時25分やった」

母は「おばあちゃんが寄って行ったんじゃないの?あんたの家は知らんはずやけど」と笑い飛ばした。

そういえば、祖母はわたしたちを置いて出かけるとき、いつも子供部屋にある勝手口のドアをドンドン叩いてから出ていっていた。(祖母はよく謎の行動をするので)

世の中は説明できることばかりではないので、祖母なりの合図だったと思っておいても良いのかもしれない。

 

1時間半ほど待って、葬儀屋の人に案内されて収骨室に向かった。初めて人骨を見た。祖母はこんなに小さかったのかと思った。怖くてあまり直視できなかった。

葬儀屋の人が骨を見ながら、骨占いみたいな解説をするのが少しおもしろかった。わたしは顎の骨と目の周りの骨を拾った。骨は焼け焦げたせいかスカスカでとても軽かった。

 

収骨が終わると精算して解散。こんなにもあっけないとは。どんな人間も最後はあんな小さな骨になるだけだということを実感した。

どんな美人もカッコつけてる人も賢い人も、みんな人間である限りお尻が割れていて間抜けだなって考えて面白くなることがしばしばあるんだけど、これからはそれに死んだらみんな骨という考えも引っ付いてきそうだ。

 

ちなみに焼き場のにおいは月見バーガーに似てるのか気になっていたが、あんまりピンとこなかった。よく考えたら年に1度食べるか食べないかの月見バーガーのにおいなんて覚えていないのは当たり前じゃないか。

よって真偽は不明のままにしておくことにする。

20210714

火葬場のにおいは月見バーガーに似てるというのを聞いたことがある。

わたしは火葬場に行ったことがないので真偽は不明だけど、今年は月見バーガーが食べられないかもしれない。

 

今日は長い一日だった。

朝起きたら、通勤中の母からLINEが入っていた。

「老人ホームに電話してくれへん?電車の中やから出られへんかった」

言われるがまま、老人ホームに電話すると、「午前1時24分に呼吸停止され、7時22分に出勤した医師が心肺停止を確認しました。手続きのため、こちらに来てほしいのですが、いつ来られますか?」

という事務的に伝えられた。わたしは祖母の死を予想していたので妙に冷静で、「わかりました。多分通勤中の母がそのままそちらに向かいます」と淡々と返し、母にもそのようにLINEを入れておいた。

老人ホームは不便なところにあるのできっと車が必要だろうと思い、わたしも老人ホームに向かうことにした。

身支度をしているとき、祖母との記憶をたどってみたが、全然思い出せなかった。5年前まで一緒に住んでたのに淡白なもんだなと思ったが、祖母が老人ホームに入ってくれた 5年間のおかげで認知症が本領発揮し始めてからの嫌な記憶が薄れてくれたんだと思い直した。

老人ホームに入ってからの祖母は、日に日に赤ちゃん返りしながらも、たまに素に戻り、認知症が進行して自分でもわけが分からなくなっていくことを怖がっていた。また、祖母の入っている特別養護老人ホームは、祖母よりもひどい状態の入居者が多く、どんどん人が死に、入れ替わりが激しいため、最初は友達を作っていた祖母もだんだん周囲に関心を示さなくなっていった。そんな姿が痛々しく、見ているとつらいので、わたしはなるべく面会したくないとさえ思っていた。そのうちにコロナ禍で面会謝絶になった。

そんなことを考えていると、ふと、保育園の頃、祖母に初めて買ってもらった黄色い花柄の靴の情景が思い浮かんだ。祖母に靴を買ってもらえたのが嬉しくて早速履いて帰ったが、サイズが合わなくて途中で靴擦れしたんだった。でも祖母がせっかく買ってくれたから言い出せなかったときの記憶だった。

それを思い出したときに、(ああ、おばあちゃんが死んじゃったんだなあ)という気持ちになった。

考えてみれば、今のわたしが好きなものはおばあちゃんも好きなものだった。ラムネも黄金糖もソフトクリームも庭いじりもおばあちゃんが好きなものだし、嫌いなものは大体おばあちゃんのせいだ。ブロッコリーが嫌いなのも、おばあちゃんが誤ってデカい青虫と一緒に茹でたのを食べさせようとしたからだし、柿が嫌いなのも熟した柿を放置して地面に落としまくってたせいだ。ジェットコースターが怖いのも、おばあちゃんが坂道でわたしが乗った手押し車から手を離して、2mくらいある側溝に落としたせいだ。

博士課程まで行ったのだって、この時には既にボケ始めていたおばあちゃんに「女は勉強せんでいい!頭ばっかり高くなる!」って言われた反発心もあるかもしれない。

わたしはおばあちゃんにも育ててもらってたんだなということを実感すると途端に感情が湧いてきた。

 

車の運転が心配になったので少し落ち着いてから老人ホームに向かった。

老人ホームについて祖母のベッドに案内された。祖母は寝てるみたいで、ほんとに死んでるのかな?と思うほどだった。先に着いた母と祖母の経過を聞いた。7日にコロナのワクチンを打って、次の日から普段はたくさん食べる祖母が食欲を示さなくなり、熱が上がり始めたらしい。38.5度の高熱が続き、何を食べても嘔吐し、そのうちに誤嚥性肺炎。呼吸器をつけても外してしまうのでどうしようもない。母が面会した昨日はめずらしく意識があり、母がつけているフェイスシールドを嬉しそうに撫でて、「もう、大原野(地元)に、帰るわな」と何度も言っていたらしい。母が帰ったあと、仲の良かった職員さんと少し話して、10分後に息を引き取った。

 

葬儀屋が来るまでは職場に忌引の連絡をしたり、祖母のクローゼットを片付けたりした。

祖母が押していた手押し車にわたしが昔 長崎で買ってきたキーホルダーが付いていた。何度も面会してきたが、全然気づかなかった。

老人ホームにいたのはわたしのおばあちゃんだったんだな、という気持ちになった。

 

葬儀屋に先導されて上京区に向かうとき、もう西京区にもほとんど来なくなるんだろうなと思った。滋賀に引越してからは祖母の面会くらいでしか来なくなってたから。

生まれ育った場所との繋がりが薄れたようで、さらに人生が途切れたような気がした。(博士課程を満期退学して就職してから人生が途切れているような気がしてならない)

葬儀屋からは事務的な手続きばかりで、悲しんでる時間もなく、淡々と過ぎていった。

生まれ育った場所から引き剥がされた祖母にはもう慣れ親しんだ友達もおらず、兄弟も縁が切れているので火葬式だけで済ますことになった。

 

葬儀屋と明日火葬場で待ち合わせして、お金を払って骨を拾うだけ。

初めての火葬場。一緒に住んだ人が焼かれるのは初めて。

本当に月見バーガーの臭いなのかが気がかりだ。

 

20210713

7月13日は休みだったので琵琶湖博物館に行った。着いたら14時くらいで、ちょうどゲリラ豪雨(ゴリラげうう)に遭遇した。車の中にスマホを忘れてしまったが、気にせず昔より充実している展示を鑑賞した。

 

15時半、車に戻ると母からLINE が来ていた。

「老人ホームから11時頃電話があって、おばあちゃんが、高熱と嘔吐が続いて いつ亡くなるかわからないので、コロナで面会ができてないのと、看取りなので、一度顔を見に来られますか?と言われたので、行ってきます。一人しか面会ができないので。」

たどたどしい日本語から母の動揺が伺えたのだが、わたしはあまり実感がなく、とりあえず駅のコメダ珈琲コーヒーゼリーを食べながら返信を考えることにした。この時は、どういうテンションで返信をすれば母の機嫌を損ねないかで頭がいっぱいだった。

「そっちに向かおうか?」とは言ってみたが、雨がひどくて危ないからと断られたので、わたしにはどうすることもできなかった。

 

祖母が死ぬかもしれないという実感がなかった。祖母は老人ホームに入っていて、コロナ禍で1年以上面会しておらず、たまに母が老人ホームから来る手紙を見せてくるくらいだったから、祖母の存在自体が遠くなっていた。

また、こんなことは何度かあった。肺炎で入院したときも、転んで入院したときも、皮膚がんになったときも、スズメバチに頭部を2回 計4ヶ所刺されたときも祖母は死ななかった。

(なんだかんだ言って死なないでしょ)(しかも人間はいつか死ぬんだし)(もし生きてたっておばあちゃんは幸せなのかな)(死んでしまったほうがおばあちゃんは認知症から救われるんじゃないのかな)

そんなことばかり考えながら、気づいたら帰宅していて、母の帰りを待っていた。

 

帰宅した母は泣いていた。母は実母である祖母と折り合いが悪いながらも、早くに夫を亡くした経済力がない祖母を18歳から抱えていた。

「おばあちゃんにもっと優しくしておけばよかった。自分が養ってるからって偉そうにしなければよかった」と後悔の念をつぶやきながら泣いていたので、恐る恐る「そんなにやばかったの?」と聞くと、老人ホームで撮ってきた祖母の写真を見せてきた。(こういう写真撮るところにサイコパス性を感じる)

 

母のスマホに写った祖母の顔を見たとき、

(あ、おばあちゃん死ぬんだ)

と思った。

 

20190615

朝はホットケーキ (1枚をシンクに落としてしまって無になった)。

今日は友達と会う予定があった。午前は膳所でまつげパーマ (無料)(化粧時間の短縮が可能)の予約があったので友達には京都から膳所まで来てもらった。昼はサイゼリヤにした。夜は多少不便な場所でもいいからおいしい焼肉が食べたいとのことだったので、イオンモール付近の陸の孤島にある焼肉屋に予約を入れていたが今日はあいにくの雨予報で到達難易度が急上昇した。膳所から瀬田に行ってバスで付近まで行くつもりだったが、出発時はまだ雨の気配がなかったので、なりゆきで徒歩で向かうことになった (近江大橋を渡ればなんとかなると言う考え)。途中で暴風雨に襲われたがなんとか到着して肉を楽しんだ。焼肉屋では子牛の味に似ているという絶滅生物のステラーカイギュウの話をしていた。

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結局最寄り駅まで歩いたので膳所から南草津(12km)を歩いた1日であった。

 

20190614

朝はそうめんにした。朝そうめんも良い (しかし高い)。雨が降るらしいのでバスで通学しようとしたが猫を追いかけているとバスを逃してしまった。次のバスは1時間後なので歩いて登校。

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研究室から徒歩10分ちょっとのところにある実験室に行ってポスドクGPUの相談をする予定だったが企業からの訪問員の対応に追われていたので後にした。また研究室に戻るのはめんどくさくて絶望感があったが講師の先生が車で研究室の近くまで送り届けてくれた (ラッキー)。

今日は特にその他に予定もなかったので割と集中して作業できた (途中で居眠りしてたけど)(後輩たちと情報量が無の会話もした)(楽しい)。

昼にマクドナルドの話をしたせいでマクドナルドに行きたくなり夜はベーコンレタスバーガーセットにした。罪悪感のため、食後は夜の街を徘徊していた。

20190613

朝はだし巻きと味噌汁にした。早寝に成功したので早起きができたが、大学に行く気になれず (以下略)。ベッドに寝転がりながらPontaポイントの運用をやってみていた (100ポイント分だけ)。

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今日はTAの日じゃない上にラボミーティングもコミュニケーション班の実験 (めんどくさい)をするらしく比較的楽な日だった。来週の金曜が締切の予算申請書は手つかずであった。

昼ごはん (お弁当)のあと後輩が持参したかき氷器でカルピスかき氷を作った。かなり有な食べ物だった。無限に食べたい。人も集まってきてみんなでかき氷を食べた (研究室が最も盛り上がった瞬間であった)。

帰り際に後輩に計算資源の相談をしたらポスドクに聞いた方が良いという有益情報を得たので、ポスドクに英語でメッセージを送るというコミュをやった (えらい)。

夜ごはんは鶏むね肉と玉ねぎをなんか炊いたやつとそうめんと人参のピーナッツ和えにした。人参のやつの半分は後のお弁当のおかずになる。賞味期限が1日すぎた温泉たまごを見つけたのでそうめんつゆに入れてやった (多分大丈夫)。

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食後は散歩がてら近所を徘徊してアイスを買って帰ってきた (無)(パナップメロン味おいしい)。

 

20190609-20190612

しばらくブログを書けてなかったので食べたものまとめ

基本的に朝はホットケーキで昼はお弁当。

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夜は以下の通り

ゴーヤチャンプルー

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担々麺と青菜炒め

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麻婆茄子豆腐 (かなりうまくできた)ともやしナムル

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12日の夜は遅くまでTAだったのではま寿司に吸い込まれた。今週はあまり進捗はなかったけどmatplotlibを制したので良し。実データで実験するのがめんどくさい。