20210713
7月13日は休みだったので琵琶湖博物館に行った。着いたら14時くらいで、ちょうどゲリラ豪雨(ゴリラげうう)に遭遇した。車の中にスマホを忘れてしまったが、気にせず昔より充実している展示を鑑賞した。
15時半、車に戻ると母からLINE が来ていた。
「老人ホームから11時頃電話があって、おばあちゃんが、高熱と嘔吐が続いて いつ亡くなるかわからないので、コロナで面会ができてないのと、看取りなので、一度顔を見に来られますか?と言われたので、行ってきます。一人しか面会ができないので。」
たどたどしい日本語から母の動揺が伺えたのだが、わたしはあまり実感がなく、とりあえず駅のコメダ珈琲でコーヒーゼリーを食べながら返信を考えることにした。この時は、どういうテンションで返信をすれば母の機嫌を損ねないかで頭がいっぱいだった。
「そっちに向かおうか?」とは言ってみたが、雨がひどくて危ないからと断られたので、わたしにはどうすることもできなかった。
祖母が死ぬかもしれないという実感がなかった。祖母は老人ホームに入っていて、コロナ禍で1年以上面会しておらず、たまに母が老人ホームから来る手紙を見せてくるくらいだったから、祖母の存在自体が遠くなっていた。
また、こんなことは何度かあった。肺炎で入院したときも、転んで入院したときも、皮膚がんになったときも、スズメバチに頭部を2回 計4ヶ所刺されたときも祖母は死ななかった。
(なんだかんだ言って死なないでしょ)(しかも人間はいつか死ぬんだし)(もし生きてたっておばあちゃんは幸せなのかな)(死んでしまったほうがおばあちゃんは認知症から救われるんじゃないのかな)
そんなことばかり考えながら、気づいたら帰宅していて、母の帰りを待っていた。
帰宅した母は泣いていた。母は実母である祖母と折り合いが悪いながらも、早くに夫を亡くした経済力がない祖母を18歳から抱えていた。
「おばあちゃんにもっと優しくしておけばよかった。自分が養ってるからって偉そうにしなければよかった」と後悔の念をつぶやきながら泣いていたので、恐る恐る「そんなにやばかったの?」と聞くと、老人ホームで撮ってきた祖母の写真を見せてきた。(こういう写真撮るところにサイコパス性を感じる)
母のスマホに写った祖母の顔を見たとき、
(あ、おばあちゃん死ぬんだ)
と思った。